狐の嫁入り

小説創作ブログ! のつもりでしたが、なんかだいぶ違う気がします……

部活に行きたくない、辞めたい、嫌だと、そう思いながら毎日を過ごしているあなたに言わなければならないことがある

私はあなたに言わなければならないことがある。

 

私は、部活動にあまりいい思い出を持っていません。
中学生の時のことです。私はハンドボール部に所属していました。おや、奇遇ですね。私もそうだったのです――入部したての頃は先輩も可愛がってくれましたが、私がなかなか上達しないとなると、話はしてくれるけれども部内の立場は悪くなっていきました。当時の私は気にしていませんでしたが、後輩が入ってきたときの私はおそらく、「後輩にも馬鹿にされるへたくそな先輩」だったのです。後輩にさえ笑いものにされて、当時の私はどうしてあんなに、ヘラヘラしていられたのか、今思えば不思議です。
そういったことを当時の私はうまく認識できず、また言葉にもできませんでしたが、ずっと居心地の悪さは感じていました。部活動に行きたくない。そう思いながら、放課後は、部室で体操服に着替えて、嫌々グラウンドで準備体操なんてしていたものです。
悩みに悩み、ある日部活を辞めたいと打ち明けた私を、顧問の先生はひどく叱りました。何を叱られていたのかを私はよく覚えていませんが、きっとそれだけショックだったのだと思います。今振り返れば、あの時の私には、顧問の先生の意向を退けられるほどの勢いもなかったし、何より、教師というのもエゴを抱えた人間の一人であるという事実を、まだよくわかっていなかったのです。
顧問の先生の恫喝に泣きそうになりながら部活を続ける宣言をしたあなたに、私は言いたいことがたくさんあります。


①他人に強いられる努力は努力じゃない
先生があなたに「努力をしろ」というのは、あなたが努力をしていないからではありません。あなたがどうしても上手にボールをキャッチできないのと同じように、先生にもハンドボールを教える力がないのです。先生は、そのことを他の先生から馬鹿にされないために、自分は「必死で努力している」ことを周囲に伝え、許してもらうために、大きな声を上げ憤怒の形相を浮かべているのです。同じことを、先生はあなたに要求しているのです。「上手にできないなら、せめて苦しい顔をして、許しをこえ」
と。
あなたの努力は、先生の立場を守ることになっても、あなたの成長につながることはありません。逆に、あなたが怒ってもいいくらいなのです。
「どうして、自分がうまくできるように努力をしてくれないのか」と。
本来は、お互いが相手のせいにせず、自分の力なさを認めて歩み寄るか、お互いに諦めてそこで終わりにするべきなのです。ほら、会社だって、うまくいかなかった仕事を止めてしまうことがあるでしょう? 世の中には、努力してもうまくいかない物事だって、存在するのです。
ですが、顧問の先生には歩み寄るだけの心の余裕も、努力の方向を考えるだけの知識もなかったのです。先生は頭がいい? 理科の先生だと、そう思いますか? 私も物理や科学は大好きですが、その先生は、科学的な素養どころか、そもそも自然科学に対する興味が根本的に欠けています。あなたのほうが、先生よりもよっぽど科学を楽しめる素養を持っていますよ。私が保証します。
あなたがハンドボールに向いていなかったのと同じように、先生も先生に向いていなかったのです。そのひずみを、不器用だったあなたは、真正面から受け止めてしまっただけなのです。
あなたは努力しています。「自分には努力が足りない」と、そう自分を責め続けるあなたが、努力をしていないわけがありません。ただ、ちょっと方向はずれているだけなのです。けれど、その方向を正せる人は、あなたの周囲にはいないかもしれません。それが少し、心配です。


②「皆のため」は「皆のため」じゃない
これはよく覚えておいてください。
「皆のため」
という人は、自分のことしか見えていません。ほら、「皆のため」と言うと周りの皆はどんな顔をしていますか? 自分こそが「皆」のうちの一人だ、自分もお前に文句を言いたいと思っている、と、そう思っている顔ですか? 
ずるい大人は皆、「自分のため」と言う代わりに「皆のため」という言葉を使うのです。中学生や高校生は――早い人だと、もう気づき始めているかもしれませんが、皆、素直でひとの言うことをまっすぐ受け止められるという、世界で最も尊い心を持っています。それに付け込んで、自分の無理を人に押し付けようとする大人が後を絶ちません。
そういう人に出会ったら、反論もせず、戦いもせず、ただ、逃げてください。どれだけ叱られても、自分の知識では反論できない叱責を受けても、ただ、その人と過ごす時間が一秒でも短くなる選択をしてください。
その人と関わり、その記憶が一ビットでも多く頭に残ってしまうことが、あなたの人生にとっては何よりも大きな悲劇なのです。


③やりたいことは見つからなくたっていい
「部活を辞めてもやりたいことがない」ですか。やりたいことがないことと、部活を辞めることには、何の関係もありません。二つの事柄は連動するものではなくて、それぞれが相手に依存せず立っているものです。何もしないより部活をやっていたほうがマシ、とかあなたは考えているのかもしれませんが、ただ辛いだけで、毎日疲れていくだけの活動は、マイナスになってもプラスになることはありません。あなたのするべきことは、プラスを探すことではなくて、プラスを探す余裕を見つけるために、ちょっとでもマイナスを減らしていくことです。あなたの頭の中は、やりたくない、とか、嫌だ、とか、行きたくない、とかマイナスの思いばかりで、それをなんとかしようというとても難しい問題でいっぱいになっています。その中に、「やりたいこと」の入る余裕はありません。
頭の中が空っぽになること、自分を追い詰めないでいることに、あなたは罪悪感を感じるかもしれません。いいですか、人間は、苦しめば苦しむほど、追い詰められれば追い詰められるほど成長できる、という考え方は間違っています。心が躍り、自分から身を投じたくなるような幸せな苦しみと、それを乗り越えた後の心地よい疲労感の繰り返しで、人は成長できるのです。ハリーポッターの呪文に「クルーシオ」というのがありますね。もし、人が苦しめば苦しむほど成長できるなら、あの呪文は禁術なんかにならなかったはずです。


④辞めるのだって一つ勇気
部活を辞めることだって苦しく、ある勇気を必要とすることです。逃げるのがかっこ悪いとわかっていて、馬鹿にされるとわかっていて、それでも辞めるほうが正しいと信じて行動したのであれば、あなたも一人の勇者なのだと私は思います。
「やりたいことがない」とあなたは言いましたね。あなたは、家と教室と部活と、この大きな世界のほんの一部、それこそ、巨大な砂浜の砂粒一つでさえ掴めていません。
やりたいことなんて探さなくていいです。ただ、今まで、自分が見たことのないもの、聞いたことのないもの、触ったことのないもの、読んだことのないもの、やったことのないもの、行ったことのない場所、関わったことのない人、物、事、まだ経験したことのないありとあらゆることに、手を伸ばしてみてください。その中にはきっと、あなたの心を楽しくしたり、愉快にさせたり、温かくさせたり、前向きな気持ちにしてくれるものが見つかるはずです。あなたはそれを追いかけずにいられないはずです。それを追って、ずっと走っているうちに、自分の探していたものが、すでに手元にあることに気が付くでしょう。やりたいことは見つけるものではなく、見つかるものだと、今のあなたにはなかなか信じてもらえないかもしれませんが、その時になればきっと納得してくれると、私は信じています。

あなたには時間があります。その時間を、どうか大切に。

私は、陰ながら祈っています。