果たして28歳を若手と呼んでいいんだろうか?
果たして28歳は若手なんだろうか。
高校生からしたらおっさんだろうし、IT企業ならそろそろ管理やれよっていう感じかもしれませんが、日系大企業においてはまだ若手の扱いです。後、落語とか政治の世界では、まだ生まれてさえいないという認識かもしれません。
私もそろそろ30歳が見えてきまして、まだちょっと猶予がありますが確実に来ます。
高校生の頃、30歳になったら自分はきっと死ぬんだと思っていました。
けれど今のところ、車に引かれたり通り魔に刺されたりといったトラブルに大当たりしない限りはそんなことはなさそう。現実的な問題として、メーカーの技術職であれば、結婚しないでいると寮から追い出される年齢ではありますが。
グレート・ギャッツビーにこんな言葉があります。
友人二人が女とプライドを巡ってドロドロのバトルを繰り広げるのを目の当たりにした主人公のニックくんは、その日がたまたま誕生日。ふっとそのことを思い出してこんなことを地の文で語ります。
三十歳――今後に予想される孤独の十年間。独身の友の数はほそり、感激を蔵した袋もほそり、髪の毛もまたほそっていくだろう。
野崎孝 訳『グレート・ギャツビー』
お前30だったんか、驚くのもつかのま、が、この文章の後にはこう続く。
しかし、僕の傍にはジョーダンがいた。
まあこの微かな希望にもいろいろとあれな結末がついてくるんですけれど。
この一文からわかることが何かと言いますと、年齢を重ねる絶望に抗うためには、自分以外の誰かの力が不可欠だということでしょう。
この文章では恋人と家族が示唆されます。
もっと他にも類似のものはあって、後は、仲間、会社、役職、生きがいあたりでしょう。自分は孤独だと嘆いている気力があるうちは、まだまだ若いということなのかもしれません。
歳を重ねるということは生物としての機能が劣化していくということ、それを補うには、社会的なパワー(権力とは限らない)、社会とのつながりが必須になってくる。そして、社会の一番基本的な構成要素が何か、社会の教科書にも書いてあります。
「家族」
と。
30で結婚を焦る理由がわかってきます。生物学的な能力が衰え、社会的なつながりでそれを補わないといけないからです。
さて、いわゆる日系メーカーでの28歳というと、社内では年上の人々の数が圧倒的に多く、職場にいると自分が若いと勘違いしがちで結構危ういです。一度、自戒の意味を込めて都内のIT会社なんかにお忍びでお邪魔したほうがいいのかもしれないとわりと本気で思います。
世界の進歩は早く、しかしレガシー産業の歩みはとろくさい。この業界にずっといていいのかと不安に思うことは多々あり、かと言って新しい業界でスタートを切れるほど若くはありません。
年寄りとまでは言わないが、可能性に満ち溢れているほど若いわけでもない。自分が若いと勘違いしているうちに、取り返しのつかないほどの生物学的な後退が進んでいては目も当てられません。
自分が若くある程度行動力のあるうちに、たくさんの社会的な関係を築くようにしたほうがいいでしょうし、何よりも自分は若手だと安心している日系大手の若手諸氏は、自分の若さを、周辺環境のせいで過大評価しがちだということを心に留めて人生プランを立るべきだと思うわけです。
私は全然立てられてないんですけれど……