狐の嫁入り

小説創作ブログ! のつもりでしたが、なんかだいぶ違う気がします……

残業したら、1分につき10円の罰金

最近は仕事が少ないので、勇気を持って17:30に(ときにはフレックスを利用してそれよりも前に)帰宅している。

今日も17:30ぴったりにパソコンの電源を落とし、英会話の授業を受けてきた。楽しかった(小並)

 

英会話教室に向かうすがら、まだ職場でパソコンに向かい合っているオフィスの人たちの顔を思い出す。私も典型的な日本人なので、自分ひとりだけ職場の外にいることに若干ながら後ろめたさを感じる。

だらだらと居残っている人もきっといるんだろうけれど、どうしても納期がきつい仕事に追い立てられて長時間労働を強いられている人もいるかもしれない。

そういう仕事のボリュームが可視化されてないのがよくないよなあと思いつつ、車を走らせる。走る度にガソリンが減り、英会話でつまらん雑談(英語)をする。私の懐からは、時間がすぎるにしたがってマリオカートみたいにお金がばらまかれている。

けれど、もし残業をすれば、時間が伸びれば伸びるほど手元に残ってくるお金が増えていく。これは凄いことだ。時間に対して比例するご褒美。だから残業が止められない理由のひとつだ。

仕事への義務感と残業代のインセンティブ。残業する理由にはなっても、残業をしない理由にはならない。この二つが残業文化の根っこにあると思う。

と、そこまで来て、ふっとこんなことを考えた。

残業代のインセンティブがなければいいんじゃないか。いや、それじゃあ足りない。こんなのはどうだろう。

 

「残業したら、1分につき10円の罰金」

 

残業すればするほどお金が増えるという状況を消し去ってやるにとどまらず、むしろ悪いこととして罰金を取ればいい。

もしそういう世界が実現したら、きっと(という絶対)残業は激減するだろう。なにせ、働けば働くほどもらえる給与が減るのだ。

もし、今週中に片づけなければならない仕事があって、明らかに残業が必要になった時、その担当の人は残業をするだろうか? 

 

義務感 VS 損失。

 

規定の労働時間を超えてしまった担当者は、時間内に片づけられなかったことで自分を責めるだろうか? いや、そんなことはない。彼は、1分毎に10円の罰金という責をすでに受けているのだから、わざわざ自分の落ち度を責めなくていいはずだ。

残業がかさみ(給与は減っていく)それでも強い義務感で自分の仕事を進める彼も、「残業代」というご褒美がなければ、きっとこんなことを考え始めるに違いない。

「この仕事は本当に意味があるんだろうか?」

「この納期は守る必要があるんだろうか?」

「上司の仕事割り振りが間違っていたんじゃないか?」

「そもそも、経営者が効率的に利益を挙げられる事業を作る努力をしていないから、その尻拭いをさせられているんじゃないか」

 

そうして彼は反旗を翻すだろう。

「こんな仕事は止めてやる!」

義務感もあり、与えられた仕事を果たそうという熱意もある。無茶な仕事を放り投げたとしても、彼が解雇される理由としてはあまりにも弱い。

職場は辞めず、仕事は止める。おそらく彼の担当する取引先は、物の不良とか、資料の不出来とか、納期遅れで激怒するだろう。最終的には取引を打ち切るかもしれない。賠償金がふってくるかもしれない。

今まで、利幅の少なく時間ばかりかかる仕事ばかりをあてがい、社員の責任感と頑張りに甘えていた経営者も、仕事が全く回らなくなった状況になってようやく考えを改めるだろう。

「もっと仕事量に対して利益率が高い事業を作らないと」

会社の利益体質を 抜本的に変えに行く必要に迫られるはずだ。

 

末端社員が労働力を提供しなくなった結果、限られた労働力から出来る限り利益を生み出せるような組織構造なり新規事業を立ち上げる機運が高まっていく。

 

そうして、利幅の小さな仕事に対して人間が頑張るのではなく、人間の頑張りに合わせて利幅の大きな仕事を作るという幸福な世界が生まれたのだった。

 

 

……みたいなことを考えてました。