狐の嫁入り

小説創作ブログ! のつもりでしたが、なんかだいぶ違う気がします……

研究室選びに失敗した私が後悔していること

こんばんは。

 

唐突ですが就活リクルーターになりました。

そういうわけで、公的な理由をつけて大学生とおしゃべりできる権限を得ることができてわくわくしています。早く大学に行って、ジェネレーションギャップを感じたい……

 

と、そこで思い出したのが研究室のこと。私の研究室は、毎年半分以上の学生が大学を辞めたり他の研究室に移ったりと、非常に人間環境の悪い場所でした。それも、地元ではそこそこ良いとされている大学なのに、です。

 

卒業してからも腹の立つことはたくさんありますが、就職してしまえば何もできません。今も、教授の怒声を浴びながら学生がラボ生活を送っていることを考えるとどうしてももやもやします。

 

と、いうことで、今回は研究室を選ぶにあたって、私が後悔していることをお話していきたいと思います。悪い研究室は撲滅してしまいたいのですが……そういう研究室に学生が集まらないようちょっと情報発信することが、今の私が思いつく唯一のことです。

 

その1

「過去三年間の配属人数と転属・退学人数を調べる」

その1、といいますが、私が後悔しているのはこの一点につきます。准教の先生も、博士・修士の先輩も優秀でいい人ばかりでしたが、教授がとんでもない人でした。自分の部屋で長時間の説教をしたり、研究の出来栄えが気に入らなければ何時間も研究室に居残らせたりと、一昔前のブラック企業を彷彿とさせる方でした。

そういうわけで、私が在学している間も精神的に追い詰められて研究室を出て行く人が毎年いました。毎年人が減っていくからには、何か理由があります。研究室訪問の際、毎年何人入って何人がいなくなっているか、具体的な数値で確認したほうが良いです。

辞めていく人があまりにも多い場合は、何か問題があると考えられます。

 

その2

「教授の人柄は、実際にラボに入るまでわからないものと心得る」

講義が面白いからと言って、その教授が必ずしもラボ運営に長けているとは限りません。また、論文数が多いからと言って質のいい研究をしているとは限りません。意味のない研究でも、教授のプレゼンや大学の権威で、意外と箔をつけて公表されてしまうものです。

研究室配属される前の学生は、教授にとって「お客様」です。

ラボに所属すると、急に理不尽な要求や叱責をしてくる人かもしれません。

私の場合は、学科の講義の中でこの教授の講義が一番面白かったのです……

後から思えば、私の研究室の教授は、知識や解析の能力でなく、声の質や態度と言った「演説」が凄く上手な人でした。私はそれを見抜けなかったのですね。

教授の第一印象で判断せず その1 で見たように、離職率(離ラボ率?)をしっかり見ておけばよかったなと思っています。

 

その3

「『この研究をしたい』でなく「この人達と研究室したい」で選ぶ」

学生さんにはちょっと反感を買うかもしれませんが、学生の興味は変遷していいものだと私は思っています。『これがやりたい』と決めて研究室を選ぶより「この人達とやりたい」を優先したほうが、長期的に見てプラスになります。

「これをやりたい!」と言って大学に入ってくる学生は稀だという前提の話ですが、学部・修士の研究は「良いテーマ」を得ることでなく、「いい先生と先輩」に出会うことです。そこから興味の幅を狭めていっても何も問題ありません。

 

 

おわりに

大学は学問探求の場ですが、大学四年間でそのテーマを見つけることのできる学生は稀です。凡人たる私のような人がそうなるためには、知見のある先生と先輩の下に着く必要があります。その上司に当たる人たちと仲良くやっていけるかどうかが、私は一番大切だと思っています。

学生の内は「テーマ」や「やりたいこと」に主眼を起きがちで、実際の研究環境(生活環境?)に目を向けない傾向があります。そのため、悪い環境に入ってしまって疑問を持たずにいる学生が後を断ちません(私の配属されたラボのような……)

確かに、並外れた成果を上げて教授の評価を得るように努力する、という道もあります。けれど、それはあまりにも大きな理想で、一万人に一人と実現できないものを追い求めさせられ、ギャンブルのコマのように使い捨てられてしまうリスクも大きいです。

私の主張は、大学の理想からは外れ、生活感のあるものです。理想に燃える学生さんにはなかなか受け入れられないかもしれません。

ですが、学究の前に安定した生活基盤あり、です。これは譲れません

 

大きな理想を掲げるのもそうですが、まずは、日常を過ごす環境はどうかという視点で、研究室を選んでみてはどうでしょうか?