結婚しないとやべえなって思ったけど、結婚してもやべえなって思う
とてもおかしいタイトルで失礼します。
ツイッターやSNSでの異性関係の不安やコンプレックスを煽る言説の数々にも食傷気味になりまして、そういう文章を読むたび
「炎上マーケティング頑張ってんなあ……」
と微笑ましい気持ちで眺められるようになりました。
そういう他人からの煽りをそこそこ気にしないでいられるようになった今でも「今婚活やらんといろいろまずいんじゃないか」という感覚はやっぱり残ります。
おそらくその直感は正しく、二十代後半になってもまだ自分の望みを実現できておらず、だからといっていつまでも人生の決断を先延ばしにしている自分はあかんなとうすうす感じています。
正しい大人のあり方として、さっさといろいろなものを諦め、捨て、他者に貢献するマインドを養って愛すべき誰かとの共同生活を初めてしまったほうが、長期的に見て幸福いられるのかもしれないなという思いがよく浮かびます。
まあ、愛すべき誰かなんて自分のDNAが混じった人でしかありえないのかもしれませんが。
結婚を目的とした結婚はしたくねえな…‥とか思ってしまう私はまだまだあまちゃんなのかもしれません。いつまで思春期を引きずってるんだろう。今でもまだ、魅力的な異性と出会って仲良くなり、知らないうちになんとなく結婚していた、みたいなファンタジーを心のどこかで信じているのかもしれません。
未だに結婚はロマンチックで劇的なイベントであるという虚構が世の中にははびこっており、それが結婚後の共同生活という人生で最も注力しないといけないイベントへの参加を遅らせていると感じます。
なんというか、結婚ってもっとカジュアルでいいはずなんです。別に好きな相手でなくてもよく、恋愛関係なんて必要なく、愛なんていう正体のつかめないものに依存するのでもない。そんなものは重要じゃないはずです。そういう虚構で遊んでいいのは、自由と時間と魅力を余るほど持っている一部の特権階級の人だけだと思うのです。
一般市民にとって必要になるのは、共同生活を営んでいく忍耐力とお互いへの信頼です。そこにはロマンチックな要素などひとかけらもなく、ただ地道な努力の積み重ねです。
結婚ってやべえな、というのはこのことで、共同生活にとんでもない労力が必要になるのに、それに至る道を吐気がするような虚構で塗り固めないといけないということ。普通に頑張れない……そんなことを頑張れたのは、ガチ惚れして終わった学生時代の残念な恋愛のときくらいです。
そういう壮大な勘違いが発生しなくなった今、このイベントにどう向かいあっていったらいいのかわりと途方にくれています。
匿名ブログっぽい書き散らし記事です。
全国の読書家へ向けた「書を捨てよ、徹底的に!」という提案
「人生がときめく片づけの魔法」を読みました。
どうしてかというと、片づけコンサルを皮切りに、全米で最も影響力のある人物まで上り詰めたそのキャリアがあまりに興味深かったこと。また、私は会社のイベントで本を紹介することになっていて、あまり堅苦しくなりすぎず、かつ示唆にも富むいい感じの本に思えたこの一冊がちょうどいい題材かもと考えたからです。
この本を読んで思ったこと。
「過去の積み重ねは現在の足を引っ張るかもしれない」
もうひとつ
「片づけることは、過去に片をつけることである」
そして
「片づけはノウハウでなく自己発見の過程である」
片づけって哲学なんだ……みたいなことを私は思いました。
情報が反乱する現代において、大切なことは情報の収集や集積ではなく、取捨選択して必要な情報のみを手元に残すことです。
あまりにたくさんの本を保管しすぎると、手元にたくさんあるがゆえに返って情報にアクセスしにくくなるように感じます。手元の情報が少ないほうが、新しい情報に敏感になれ、違った世界が開ける可能性がわずかばかり増えるかなあと思っています。
そういうわけで、全国の読書家へ向けた「書を捨てよ! 徹底的に!」特集。本の捨て方とそのポイントを、「人生がときめく片づけの魔法」のノウハウに沿ってご紹介。
とはいえ、ステップはたった2つです。
①全ての本を本棚から引っ張り出し、床に並べる
ここが最も重要なポイント。『本棚に並べたまま選ぶのは駄目」と著者は言います。曰く、収納されたままのものは眠ったままの状態であり、一度取り出して活かしてやる手順が必要なのだそう。とにかく、全ての本を、一冊残らず! 見える状態、選別にかけるぞという意思を持った状態にすることが大事なようです。片づけは物理的ノウハウでなく心構えだという著者の主張がびしばし伝わってきます。
②ひとつずつ手を振れて『ときめく』かどうかを確認する。ときめかないものは手放す
2つ目、これも重要なポイント。スピリチュアルっぽいですけれど、やってみると、著者の言っていることがわかります。
実際手にとって見てみると「あ、これいらない」と「これは絶対にいる!」という本がはっきり自覚できます。
私の自室にも腰くらいの高さの本棚が2つあり、漫画、小説、科学書、啓発本で埋め尽くされ空きがない状態でしたが、『ときめく』(このスピリチュアルな言い方はがあまり好きじゃないんですけれど……)ものを選んでいくと、なんと80%の本が消え去りました。まだまだ残しすぎじゃないかと、自分のときめき感度の低さを著者には指摘されそうな気もしますが……
空っぽに近くなった本棚を見て喪失感に駆られたかというとそうでなく、冊数が減って視認性が良くなった背表紙の群れを見てみると「こいつは、1ページ目を読んだらとまらなくなりそうだぜ……!」という渾身の一冊ばかりが並んでおり、たしかに本棚のときめき度(勝手な造語です)が上がった感じがありました。わりといいかもです、これ。
で、①・②を実行するに当たってのチップスもあります。
・あまりにも量が多いときにはカテゴリ分けする。
小説、一般書、ビジネス書、雑誌……等などです。
・「いつかやろう」「いつか読もう」の「いつか」は永遠にやってこない
今ときめかないものは全て捨てよということです。TOEIC本とか資格本、いつか勉強しよう系は全て捨てです。また、途中読みの本は最後まで読まなくてもいい、とのこと。途中で止まったということは、それ以上読む必要がなかったということです。
私も、あまりに難しかった機械学習本、後ろだ押しにしたTOEIC本、興味が失せた社会科学本、その他積ん読本には、棚から離脱していただきました。わりとすっきりした感じあります。
・「ときめき」を判断する時、中身は決して読まない
中を読んでしまうと、「必要かどうか」という観点で迷ってしまい、ときめくかどうかの判断が鈍ってしまうそう。
・「殿堂入り」の本は迷わず残す
本当に大切な一冊、大切な本だけは残しましょう、とのこと。確かに大切な本だけが並んだ本棚はかなり満足度高い感じがします(私も実践済み)
と、言う感じです。
途中読みだったり、いつか読むかもという状態だったり……そういう本は全て捨て、殿堂入りの一冊を残していく。さすれば、自分が最も大切にしたいものが何だったのか、おぼろげながら見えてくるんじゃないでしょうか。
そういうわけで、「書を捨てよ、徹底的に!」でした。
本好きにはなかなか刺激的な提案ですが、「自分の最も好きな本」がとてもはっきりする面白い試みです。捨てられない人は、ときめくのだけ本棚に残して後は脇に退ける、くらいのところから始めてもいいかもです。
言わずと知れたベストセラーですが、元ネタの本はこちら。著者の特殊すぎる経歴には本当に驚きます。
果たして28歳を若手と呼んでいいんだろうか?
果たして28歳は若手なんだろうか。
高校生からしたらおっさんだろうし、IT企業ならそろそろ管理やれよっていう感じかもしれませんが、日系大企業においてはまだ若手の扱いです。後、落語とか政治の世界では、まだ生まれてさえいないという認識かもしれません。
私もそろそろ30歳が見えてきまして、まだちょっと猶予がありますが確実に来ます。
高校生の頃、30歳になったら自分はきっと死ぬんだと思っていました。
けれど今のところ、車に引かれたり通り魔に刺されたりといったトラブルに大当たりしない限りはそんなことはなさそう。現実的な問題として、メーカーの技術職であれば、結婚しないでいると寮から追い出される年齢ではありますが。
グレート・ギャッツビーにこんな言葉があります。
友人二人が女とプライドを巡ってドロドロのバトルを繰り広げるのを目の当たりにした主人公のニックくんは、その日がたまたま誕生日。ふっとそのことを思い出してこんなことを地の文で語ります。
三十歳――今後に予想される孤独の十年間。独身の友の数はほそり、感激を蔵した袋もほそり、髪の毛もまたほそっていくだろう。
野崎孝 訳『グレート・ギャツビー』
お前30だったんか、驚くのもつかのま、が、この文章の後にはこう続く。
しかし、僕の傍にはジョーダンがいた。
まあこの微かな希望にもいろいろとあれな結末がついてくるんですけれど。
この一文からわかることが何かと言いますと、年齢を重ねる絶望に抗うためには、自分以外の誰かの力が不可欠だということでしょう。
この文章では恋人と家族が示唆されます。
もっと他にも類似のものはあって、後は、仲間、会社、役職、生きがいあたりでしょう。自分は孤独だと嘆いている気力があるうちは、まだまだ若いということなのかもしれません。
歳を重ねるということは生物としての機能が劣化していくということ、それを補うには、社会的なパワー(権力とは限らない)、社会とのつながりが必須になってくる。そして、社会の一番基本的な構成要素が何か、社会の教科書にも書いてあります。
「家族」
と。
30で結婚を焦る理由がわかってきます。生物学的な能力が衰え、社会的なつながりでそれを補わないといけないからです。
さて、いわゆる日系メーカーでの28歳というと、社内では年上の人々の数が圧倒的に多く、職場にいると自分が若いと勘違いしがちで結構危ういです。一度、自戒の意味を込めて都内のIT会社なんかにお忍びでお邪魔したほうがいいのかもしれないとわりと本気で思います。
世界の進歩は早く、しかしレガシー産業の歩みはとろくさい。この業界にずっといていいのかと不安に思うことは多々あり、かと言って新しい業界でスタートを切れるほど若くはありません。
年寄りとまでは言わないが、可能性に満ち溢れているほど若いわけでもない。自分が若いと勘違いしているうちに、取り返しのつかないほどの生物学的な後退が進んでいては目も当てられません。
自分が若くある程度行動力のあるうちに、たくさんの社会的な関係を築くようにしたほうがいいでしょうし、何よりも自分は若手だと安心している日系大手の若手諸氏は、自分の若さを、周辺環境のせいで過大評価しがちだということを心に留めて人生プランを立るべきだと思うわけです。
私は全然立てられてないんですけれど……
ぱらぱらと降ってくるこなさなくてもいい仕事を、勇気を持って放置する
会社員をやっていると、制度やルール的には処理することが求められるけれど、やらなくても誰も困らない仕事というのが存在する。
大変抽象的な話ですけれど、例えばすでに候補が決まった塗料の中の中に「君も何か検討して入れてみなよ」というベテラン社員の何気ない親切に本気になってしまうとか、「そう言えばそこの寸法出てるか測定できてないよな」→加工器具の精度的にできていそうだけれど、たしかに測定担当者に部品を渡さないと数値としては出てこない何かがあったりする。
こういう仕事をサボっても会社の損失にはならない。あるとすれば、一緒に働く人の「親切」や「鋭い気づき」や「せっかくの提案」あたりを否定することにつながり、効率性よりもむしろ人の信頼をそこなう。例えば、「こいつはたったこれだけのこともこなせないのか」みたいな。
そういう印象を人に与えてしまうのかなあ……と思いつつ、時には理屈を持ってやらない宣言をし、どうしても無理そうなときは勇気を持って放置したほうが、残業時間もヘリ余計な人経費もなくなり、ひいては会社全体が幸せになれるんじゃないか。それとも、だらしのない会社として、ガバナンス不良が蔓延する悪い組織への入り口なんだろうか。
前者であることを思いつつ、私は勇気を持って放置しようと思います。
小説の新刊を単行本で買うということ
私はささやかな楽しみは好きな作家の小説を単行本で買うことである。
読みたいだけなら文庫で買えばいいし、なんなら映画なんかは地上波で放送されるのを待っていたりさえする(人が多い場所に行きたくないというのも若干ある)
文庫がだいたい700円くらいに対し、1700円くらいする単行本のプラス1000円分はいったいなんなのか。今日とて、「Iの悲劇」を手に取りつつ、普通に文庫化するまでまてばええやんと自分ながらに思っていた。
文庫になる前に先行して読める分のプラスだという向きもあるけれど、私の場合は小説家とか出版社へのリスペクトと言いますか、いわば彼らの持っているブランドに対して料金を支払わされてるんだろうなあと感じる。電子書籍隆盛の時代とは言え、有名出版社の新刊ということで、きっと面白いし値段に負けない内容だろうという信頼感があるんだろうし、そういう伝統の前にひざまずいての+1000円。ファンは弱い。握手会でCDを買うちょっと前のドルオタと変わるところは少しもない。後、ホストに貢ぐ女の人とか……それはちょっと違うか。
命をつなぐために必要ないものに支出するのはやっぱり貴族の道楽っぽいよなあと思いつつ、そういうゆとりのある自分というのを、わざわざ高い金を払って買うことで確認したいのかもな、とも思っている。
収納スペース的にもコスパ的にも、どう考えても文庫or文庫の電子書籍版のがいいのに、まだ単行本なんて買っていたりする。自分も、じわじわと古い人間になりつつあるんかなあ。
ちなみに、文庫ではなく単行本を買う理由を人に説明する時、私は「お布施」ということにしている。実際的な意味はほとんどないけれど、自分の気持ちをなんとかするために支払うものだからだ。
よくわかんないけど、これからもきっと支出しつづけるんだろうなあ
英会話教室に通い始めたおかげで、パーキンソン病の祖母を救う手段が見つかったかもしれない
少し長い記事になるかもしれません。
パーキンソンはこんな病気です。
リンクを踏むのが面倒くさい方に説明しますと、手足が震え、お箸を持ったり歩いたりする動作がおぼつかなくなり、日常生活に支障がでるような病気です。私の祖母も手が震え、一人で買い物にも行けない状況。毎週、車を持っている叔父(結婚して子どももいて三交代で働いている)が車で買い物に連れて行っています。
かなり以前から症状はあったのですが、一番ひどかったのが最近で、祖父が亡くなった時です。とてつもないストレスのためと思いますが、本当にひどい症状が出て告別式どころではなかったのが見ていて辛かったのを覚えています。医者に行っても良くならず(と祖母は思っている)、為す術もなくそのままにしている現状でした。
と、ここで全く話が変わるのですが、三ヶ月ほど前から私は英会話教室に通い始めました。なぜかというと、英語をよく使う部署に移動になったからです。
先生はカナダの出身で、入れ墨スキンヘッド大柄、力強い顎髭に青い目、というかなり強そうな西洋人です。レッスンもなおざりに映画やサーフィンについて語りだす自由すぎる人で教育効果に疑問はありますが、ネイティブの話っぷりを効くだけでもまあ意味はあるだろうと私は通い続けており、彼はある日こんなことをいい始めました。
「マリファナは素晴らしい薬だ。タバコのほうがずっと危ない。日本はおかしい」
すでにカナダでは解禁され常用されており、もっと危ないタバコをやめているとのこと。このあたりはまたちょっと面白い話なので別に語るとして、私が衝撃を受けたのが、その時に見せてもらった動画です。
これです。
BEFOREの動画では、体が震えて歩くのもおぼつかない様子です。
けれど、マリファナから抽出したCBDという成分を一滴摂取しただけで震えも収まり落ち着いているのがわかります。
けれど日本ではマリファナは違法です。祖母をカナダまで連れて行って試してみるのもどうか…と考えたのですが、更に詳しく聞いてみると、どうやら、CBDオイルは日本でも合法らしいのです(詳細は調査中)。
実際、国内で販売している会社もあるようです。
この会社でCBDオイルを買って試したら、パーキンソン病に苦しむ祖母を助けられるかもしれません。
ただし、これは知り合いの海外投資家の方から伺った話なのですが、中にはTHC(日本では違法とされている成分)が混じっているオイルがあること、また薬効のないパチもんを高値で掴まされる可能性もあるようで、購入前には慎重に調べる必要があります。
簡単に検索したところだと、10mlで1万円くらい。もしも品質が担保されて効果もあるなら安い買い物です。
まさか、英会話教室に通い始めたおかげでパーキンソン病の緩和方法にたどり着ける可能性が開けるとは予想もしていませんでした。これがセレンディビティか……
新しい場所や人間関係にあえて自分を突っ込んでいくと、こうやって以外なものが見つかるかもと、面白い教訓が得られました。
ちなみにアマゾンには売っていないようです。現在調査継続中のため、うまくいったらまたお話しようと思います。
通信料5000円でも払い過ぎ。スマートフォンは凄く安くなっています。
携帯キャリアの見直しに行ってきました。
au、softbank、Ymobile、UQ、楽天モバイルを見てきましたが、最安は
楽天モバイルの1500円
でした。今の自分は、機種代+通信料+故障保証をあわせて5700円を支払っていますが、それでも支払いすぎでした。スマートフォン、すごく安くなります。とても驚きました。各社見積もりを取りましたが。楽天の1480円が最安値です。
通信料は2GBまで。ただし、容量を超えても低速モードで使い放題です。店員さんから説明を受けましたが、メールのやりとりやブラウジング、動画を見るくらいなら快適に使える速度とのこと。
最近の私は少々スマホ依存気味なので、自制する意味も込めて2GB上限にする予定でしたが……
ともかく、ちょっと手続きして通信キャリアを変えるだけで月の手取りが+4000円。凄い。
しかも、プランに不満があっても違約金が0円なので乗り換えも簡単です。これからもっと安いプランが登場してくる可能性もありますので、各社のプランを定期的にチェックしていこうかと思います。楽天モバイルの新プランも気になりますし。
ただし通信会社株への投資はちょっと様子見です。
通信料の価格競争が始まると携帯キャリアの収益も減ってしまうので、今後の株主還元方針が変わる可能性もあるかなと思っています。KDDIに投資したいと思っていたんですけれど……(優待狙い)。
通信料プランと通信キャリアの業績は、今後も継続的に見ていこうと思います。
かなり役立つ発見でした。