狐の嫁入り

小説創作ブログ! のつもりでしたが、なんかだいぶ違う気がします……

【黒歴史】昔書いた小説を晒します

               「花火はみえない」

                                  ミズノ

1.

 どん、とおなかの底に響くような低い音で目が覚めた。眼のふちをこすりながら起き上がると、今度は三つに連なった音が空気をかすかにふるわせた。私はベッドから降りて、流しにおいてあったコップに水を注いで一気に飲み干した。喉を流れる冷たい水は、うだるような暑さに火照る体から熱を奪って滑り落ちていく。
 流しにコップを放り込んで、小さなベランダに面した窓から外を覗いた。今年は花火なんて見ないと決めていたのに、いざ始まってしまったことがわかると、あのはじけては消えていく光の群れを妙に恋しく感じた。三階分の高さは十分に思えたけれど、花火は見えない。遠くに立つビルが邪魔をしているからだ。
 私は失望とともにベッドにもう一度倒れこんだ。自分の体温が残った布団と、熱気をはらんだ大気に包まれてもう一度目を閉じたところで、枕元に置いたスマートフォンが着信を告げた。手に取ってボタンを操作する気になれなかった。「相良日名子」の名前とともに電話アイコンが揺れるのをぼんやりと眺めていると、規定の一分が過ぎたところで着信音が止まった。小さな画面から放たれる強い光が消えて、薄暗い闇が再び私を取り囲んだ。
 部屋の隅にかかった時計を見ると、もう七時を過ぎていた。時計を眺めていると、急に現実感が沸いてきて、一つだけ思い出した。自分の能天気さに、思わず苦笑してしまいそうになる。
 まだ、夜ご飯を食べていなかった。

 

2.

 外に出て歩いてみると、少しだけ気分が晴れた。夜空にはうっすらと雲がかかり、風が吹くたびに月の光が明滅を繰り返した。夜道にはいつもよりも人通りが多い。きっと、花火を見るために外に出てきたのだろう。中にはカップルの姿もある。鮮やかな浴衣姿が、Tシャツにジーンズというラフな格好と並んでゆっくりと歩いている。顔を見合わせたとき覗く横顔は、どことなく幼い笑みをたたえている。高校生くらいだろうか。大学二年生の私はもう、彼らの後ろ姿をまぶしく感じる。人は一年に一歳ずつ年を取っていくけれど、一年の長さはいつも一緒なわけではない。二十歳の誕生日は大きな喜びと、そして小さな絶望と一緒にやってきた。これからは、少しずつ喜びの比率が小さくなっていく、そんな予感がしていた。
 彼らはちょっと立ち止まったと思うと、駆け足で道路を横断してコンビニに入っていく。私は思わず、逃げるみたいに彼らに背を向けていた。認めたくなかったけれど、私はこれ以上、あのきれいな浴衣を見たくなかったのだ。

 

「花火を見に行こう」
 前沢明人は、自分の口にしたことを、ほんの些細なことまできちんとやってくれる人だった。一緒に花火を見に行くこと、それは難しいことでもなんでもない。きっと、そのうち私を誘ってくれると思っていた。けれどその約束は果たされなかった。
 前沢から別れを切り出されたときの私は、驚きも悲しみも感じなかった。私が一番初めに思ったことは、花火を見に行く約束はなかったことになるんだな、なんていう場違いなことだった。
 一枚の美しい写真を火にくべたみたいに、私の想像の中の風景が灰になって消えていく。前沢は、一目ぼれしたと言った。馬鹿みたいな言い訳だと思いながらも、私は神妙な表情を繕ってゆっくりと頷いていた。それどころか私は、
「応援する」
 なんて、心にもないことを口にしていた。あっさりと関係を断ち切ったふりをしたのは、前沢が、ほんの少しでも自分の決意を後悔してくれればいいと思ったからだ。けれど、私の考え方はどこまでも浅はかだった。
「ありがと」
 そう口にした前沢の表情は、ほっと安心したように緩んでいた。あ、後悔はしてくれないんだ、今、失敗したんだと、私はすぐに気がづいた。
 前沢はゆっくりと立ち上がると、私に背を向けて部屋を出て行った。
 私は涙を浮かべでもして、後ろから抱きつきでもすればよかったのか、そうすれば前沢はもう一度こちらを振り向いてくれただろうか。そんなことは私にはできそうになかったけれど、あの時点では少しだけ可能性のあった別の世界を、私はつい夢想してしまう。

 

3.

「どうなさいましたか?」
 レジの店員さんは、きょとんとした表情を浮かべて私のほうにレジ袋を差し出していた。私は小さくすみません、とつぶやいてレジ袋を受け取ると、逃げるようにしてコンビニの自動ドアをくぐって、冷房の効いた室内から外に出た。もう一度、夏夜の熱気が私を包み込んだ。
 夕ご飯を買いに出ただけなのに、思ったより遠くまで歩いてきてしまった。近くの交差点には信号がなくて、何人かの警備員の人が赤色のライトで車と人を誘導しているのが見えた。さっきより、ずっと多くの人や車が行き来していた。もう少し歩けば、花火が見える堤防に出られるのだ。
 私は人だかりの背を向けて、もと来た道を引き返した。背後から、どん、という低い破裂音と、にぎやかな話し声が私を追い立てた。下を向いて歩いていたから、目の前から誰かが歩いてきたことに気付いたのは、視界の片隅に見覚えのあるサンダルの柄が見えてからだった。
「来たんじゃん」
 耳に心地いいよく通る声は、少しだけ笑いを含んで揺れていた。子供のいたずらを見つけたみたいな笑みを浮かべて私を見上げていたのは日名子だった。
 日名子は大きく一歩を踏み出すと、すれ違いざまに私の手首をつかんだ。そのまま速足で歩きだすから、私は抵抗する間もなく、小さな背中に引っ張られて歩きだした。
「行こう、早くしないと終わるよ」
 やわらかい素材のサンダルが、歩くたびにぺたぺたと間の抜けた音を立てた。ずっと一人でいたから、話の仕方さえ少しぎこちなくなる。
「ごめん、電話、くれたのに」
「え、何? 聞こえない」
 堤防に上がる緩やかなスロープを歩く。ここを登り切れば、もう見えるのだ。日名子はまだ私の手首をつかんでいたが、痛い、とつぶやくと離してくれた。日名子は、また速足で私の前を歩く。
「あのさ」
 前を向いたままでも、日名子の声はよく聞こえた。
「茅野の良さがわかんない奴なんて、みんなクソヤローだよ」
 最初は何を言われているのかわからなかった。数秒経って、日名子がずっとその話をしようとしていたことにようやく気が付いた。
「私も悪かったんだよ。気づかないうちに、嫌なことをしてたのかもね」
 日名子は考えた風に私のほうを眺めていた。それから、
「茅野は悪くない」
 根拠なんて一つもない主張なのに、その一言は私の心をすっと軽くした。こういう時、私はこの小さな背中が友達でよかったと思う。
「前沢が悪いってことにしとこう」
 私たちはもう堤防の上に出ていたた。遠くで、見覚えのある四・五人の集団がはしゃいでいるのが見えた。そのうちの一人が、私と日名子に気付いて手を振った。
「でも」
 私はこの期に及んでも、まだ善人のふりをしてふるまうことばかりを考えている。
 ひゅうう、と、花火の玉が笛のような音を奏でて宙へ放たれた。堤防にいる人たちはみんな一斉にその音に耳を傾けて、一瞬の静けさが周囲を覆った。
「少なくとも、今くらいはいいんじゃない」
 今までで一番大きな爆発音が、私の体を震わせた。うっすらと残るまっすぐな軌跡の先で、色とりどりの火花が勢いよく飛び散り、巨大な炎の花を夜空に咲かせた。
 周囲からは小さな歓声と拍手が巻き起こる。私は、滑らかな曲線を描いて夜空に消えていく火花の軌跡をずっと眺めていた。
 日名子も夜空を眺めていた。ずっと黙っていたと思ったら、ふいに私のほうを向いて、
「終わっちゃったじゃん、茅野が早く来ないから」
 文句を言う日名子に、私はごめんと謝った。茅野のごめんは信用できないからなーとぼやく。果たしは思わず、自分の頬が緩むのを感じていた。
「また来年も、来よう」
 そう私がつぶやくと、日名子は、はっとしたようにこちらを見て、それから歯を見せて笑った。
「来年は、ちゃんと電話でてね」
 ごめんって言ってるのに、と、私は勝ち目のない反論で応戦する。日名子は私の話をもう聞いていなくて、遠くではしゃいでいた友達たちに大声で何か叫んでいた。
「行こう、これから宅飲みするから」
 日名子は足早に彼女たちのほうに歩いていく。私はその後についていきながら、もう一度夜空を見上げた。
 今年は花火なんて見ないと決めていたのに、最後の一番大きな一発をこの目に納めてしまった。その余韻は、心に強く刻まれて消えそうにない。
 今この瞬間に肌に感じる暑さを、目に移った風景を、心のどこかでくすぶるどうしようもない気持ちを、何年、何十年たった後も、何度でも、鮮明に思い出すことができると私は確信していた。
 果たされない約束、浅はかな策略、鳴り続ける着信音、夏の夜のうだるような暑さ、夜空に向けて打ち上がる軌跡、楽しいことや、嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと、すべてを夏の夜空に打ち上げて、花火は色とりどりの光を放つのだ。
 早くー、と遠くから呼び掛ける声に急かされて、私は慌てて駆け出した。

 

f:id:youmizuno:20180901182027p:plain

 

「君の膵臓をたべたい」を読んだ私は、桜良が可愛すぎてもだえ死にそうになった

私は恋人の病死する話が苦手だった。多分、その根源は、かなり昔に大ヒットした「恋空」の影響があると思う。「恋空」はいわゆるケータイ小説として大ヒットし、映画にもなり、そしてその女子高生(中学生?)の妄想の具現化とも言うべきストーリーから、一部のネット界隈では格好の悪口ネタとして有名だった。

恋空〈上〉―切ナイ恋物語

恋空〈上〉―切ナイ恋物語

 

 無菌室でキスするとかヒロインヤバいわみたいな正論とか、後は、作者の都合で死んでいく恋人を茶化した発言が多々あり、良くも悪くも素直だった私はそれを真に受け、こう考えるようになった。
愛する人の死は、作者が自己陶酔するための道具であり、非常に気持ちが悪いものだ」
ちなみに私は恋空を最後まで読んでさえいない。なぜそこまで恋人が死ぬ設定に嫌悪感を覚えていたのか、つい最近まで私は、ヒロインが死ぬ系の予感のある話を、なんとなく避けていた節さえある。
そして三年前、「恋空」を彷彿とさせるシチュエーションで、ウェブ発信のある小説が大ヒットした。

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 

今も各種メディアミックスで話題になり続ける、「君の膵臓をたべたい」だ。

恋人が死ぬ系小説は何度でもよみがえり、定期的に話題になるのか……そう呆れていた私は初めから興味を持っていなかった。が、たまたま手に取る機会があった。
実家の本棚に「君の膵臓をたべたい」があるのを見た私は、怖いもの見たさかほんの気まぐれか、話題になる小説がどんなものかとふっと興味が沸き、そして、

あれ? 結構面白いじゃん、

と、余裕で読んでいて、後半でちょっと泣きそうになったのだ……
そうして私は、手首をねじ切らんばかりに手のひらを返したのだ。

 


自分に酔いすぎない主人公

この物語に私が入り込めたのは、主人公自身が、物事に対して努めて冷静であろうとしてたからだと私は思う。彼女の病気に、わざとらしい憐憫や憐れみをかけず、そんな彼女と秘密を共有することにも特別な感情を抱かず、目の前の出来事を淡々と語っていく。
その視点から見えた景色は、主人公の思いをできる限り通さず、そのまま我々への問いかけとなる。

「こういうことがあるけど、読んでるあなたはどう感じる?」

と。
冷静で、高校生のくせになかなか安定した語り口。気の利いた会話もできて、物語の最後まで一緒するのに、私は苦痛にならなかった。
ただ、本人からはだいぶやる気のない感じがする。


桜良という最強のオフェンス

自分からは全く動き出さず、ろくなリアクションもしようとしない主人公が「超ディフェンス型」とするならば、ヒロインの桜良はまさにその対極を行く存在である。元気はつらつで人気者、止めなければたわいない話や不謹慎なジョークを延々に続けているであろう彼女は、「超オフェンス型」だ。主人公からなんとしても感情を引き出そうとするヒロインと、ずっと自らの冷静さを保とうとする主人公。彼女が最後の願いを実行していったのは、自分の願いをかなえていくためだったと思うのだけれど、それと同時に、一ミリでも主人公の冷静さを突き崩してやりたかったからだと思うのだ。
主人公は、桜良の繰り出すにぎやかで色鮮かな楽しみや誘惑を極めて冷静に受けていくが、対する桜良は次々と新しいアイデアを思いつき主人公を試していく。
主人公と桜良が出会い、そして主人公が病気のことを知った時から、二人の戦いは火ぶたを切って落とされた。共病文庫は、偶然にも桜良から主人公に手渡された聖なる剣のように、私には見えた。

f:id:youmizuno:20180831205245p:plain

こんなイメージ。

 

全く悲壮さを感じさせないストーリー

こんな好敵手である二人だが、ひとつ、大きな共通点がある。それが、

死に至る膵臓の病に全く動じない

ところだ。

それどころか、桜良に至っては面白がって自虐的なジョークを飛ばしたりする。後半には主人公も悪ノリで同調してしまうほどだ。
これがきっと、この作中において二人を結びつけた一番大きな要素だと思う。二人とも、それくらいのことでは動じないような、確固たる物事への態度を身に着けていたのだ。
正反対だけど軸は持っている。そんな二人が、お互いに興味を持っていくのは凄く自然なことだ。そこには、ヒロインの友人も元恋人も横やりすることを許されない。だから、彼女の元恋人はあっという間に主人公の目の前から排除されてしまうのだ。
二人の間にあるのは恋愛感情でも友情でもなく、「主人公と桜良」との関係、としか呼べないような、固くももろくもない、それでいて死でさえ断ち切ることのできない不思議な絆なのだ。


不覚にもちょっと泣けた

軸をしっかりもった明るい桜良、強く感情を動かすまいといつも冷静な主人公。その二人の間で交わされる気の利いた会話、友人でもなく、恋人でもない不思議な関係に、時に楽しくなり、時に緊張し、時に胸が締め付けられる。テンポよく進んでいく展開に身を任せているうちに、ふいに物語はエンディングへと走り出す。
いつも明るい桜良がふいに寂しい様子を見せ、無感動な主人公は桜の思いに打たれ、ずっと保っていた心の仮面にひびを入れられる。
この物語中、いかにも正反対の態度を保っていた二人は、最後の最後で、相手が自分には持っていなかったものを持っていたことに気が付くのだ。陰と陽が混ざり合って一つになり、気丈な二人が互いへの思いを吐露し、主人公の意識が内側から外に向かう変化するのを見て、私はふいに目の奥が熱くなってしまったのだ。
病気で死ぬから可哀そう? 悲哀に茫然とする自分に酔っている? 馬鹿を言うなと過去の自分を叱ってやりたい。この話は、出会うべくして出会った二人が、お互いのことを深く理解していく過程を描いた、心の成長のお話しなのだ。


まとめ

登場人物の会話は軽くて気が利いていて楽しい。それでちょっと含蓄あるのがいい感じ。読みやすい文章で、話はテンポ良く進む。後半ではふいをついて調子が変わり、率直に言って私は感動した。
読み終わった後には、外に関心を向けて広い世界に歩いていきたい気持ちになる、さわやかで楽しい青春小説だ。

……不覚にも泣きそうになった私はかなりチョロい人間なんだろうか?

twitter.com

明日から劇場アニメ映画も。一発ヒットしたからには売りつくすぜ! という強い気概を感じる。

追記

たべたい、は漢字じゃなくてひらがなだった……

追記その2

最高の恋愛映画はこの記事でも紹介していますよ!

youmizuno.hatenablog.com

 

月間PVが100に到達しました! 理由をいろいろ考えます。

こんばんは、ミズノです。

 

月間アクセス数が100到達しました! と、ブログのお知らせで褒められました。

小さな一歩かもですが褒められれば嬉しい。

 

備忘録もかねて、アクセスの多い記事について、その理由を考えてみようと思います。

 

 

 

有名人は凄い

ブログ開設一週間、ほとんど0だったPVがぽーんと100ほどあがりました。なにこれ? とみていると、シロクマ先生がブックマークしてくれていました。

この記事です。

youmizuno.hatenablog.com

f:id:youmizuno:20180831003950p:plain

シロクマ先生の新刊のレビュー(?)を書いたら、なんとご本人からコメントいただきました!

ツイッターの投稿を通して、いろんな人がこのページを見に来てくれたみたいです。

シロクマ先生ありがとうございました。当時ははてなブログのあれこれをわかっておらず、ずっとそのままにしっぱなしでした……ちょっと失礼なことも書きました……

 

緩やかなモチベーション

2月にブログを開設し、ビギナーズラックで一気にPVが増えたものの、ほかの記事が全然読まれず放置していました、が、ある人の記事がきっかけてもっと書こう!と思いました。

この人です。

twitter.com

ブログは炎上してPV稼いでお金儲けするもの! というイメージを持っていた私に、「気に入った人に読んでもらえて役に立てばいい」

と考え方は意外に思えました。自分の備忘録/考えの整理/似た価値観の人とのつながり などなどメリットたくさん、と言われ、単純な私はすぐ感化されました。自分が書きたくて、他の人に役に立ち、そして共感してもらえる。そういう記事を肩肘張らずに書こうかなあと思わせてくれた方です。直接的なアクセスにはつながりませんが、記事を書こう!という根本のところの考え方をもらったのが大きいかなと思い、メモします。

きっかけの記事があるんですけれど、どの記事か忘れちゃいました……

 

ツイッターからのレスポンスの速さ

もともと、「小説家になろう」の投稿小説を読んでほしくて始めた「はてなブログ」と「ツイッター」でしたが、意外なことがわかりました。

 

f:id:youmizuno:20180830235245p:plain

このブログを見に来てくれた人のうち50%が「ツイッター」からのアクセスです! 

どうやら、Googleよりも、ツイッターのほうが集客能力が高いようです。今月のアクセス100は、ほとんどツイッターからのリンクなのでしょう。

 

さて、その中身をさらに見ると、 

f:id:youmizuno:20180830235653p:plain

圧倒的な「たまこラブストーリー」記事へのアクセス。確かにあの記事は、書いててかなり楽しかったです。それと、たまラブで共感できるツイートがあまりにもたくさんありすぎて、いろんな人に「いいね!」を押しました。「たまこラブストーリーが最高の……」の記事の冒頭で書いた通り、私の周囲には、たまラブ最高論に共感してくれる人がいなかったため、そういうコメントが嬉しかったのです。

 

 

こういうツイートには共感でき過ぎて……

ツイッターの凄いところは、自分の周囲ではそこまで話題になっていなくても、それが話題になっているコロニーをすぐに発見できるところにあると思います。

きっとこのあたりの人たちが、ツイッターからこの記事に飛んできてくれたのかなと思います。実際どうかはわかりませんが、少なくとも私は同士が見つかって嬉しいです……!

youmizuno.hatenablog.com

 

圧倒的なエロの集客力

 たくさんの人から読んでもらうためには、ツイッターもですがGoogle検索からこちらに飛んできてもらわねばなりません。

f:id:youmizuno:20180831000939p:plain

Google検索からの流入は約30%。ツイッター50%に対しやや心もとない。今後は、Google検索からも来てもらえるような記事をいろいろ工夫しようと思います。

で、中でも人気の記事が、これ。

youmizuno.hatenablog.com

 「エロ記事は受けるぞ!」と何かで読んで、なんとなく書いたこの記事。ツイッター流入を除けば圧倒的なアクセス数を誇ります……やはり性は人間の原点なのか……

 

今後の目標

自分の書きたくて、読みたいものを書く、これは基本です。

それともう一つ。Googleからのアクセスを増やすべく、検索のできるだけ上に来るような記事を一つ作る! ということ。ということで、SEO? だとか、検索エンジン? だとかの話もちょっと勉強始めようかなと思います。

エロ記事と、わりと検索から来てもらえる小説の新刊記事は……ちょいちょい書こうかな……? どうしようかな? 

 

……まだ考えることはたくさんありそうです。

部活に行きたくない、辞めたい、嫌だと、そう思いながら毎日を過ごしているあなたに言わなければならないことがある

私はあなたに言わなければならないことがある。

 

私は、部活動にあまりいい思い出を持っていません。
中学生の時のことです。私はハンドボール部に所属していました。おや、奇遇ですね。私もそうだったのです――入部したての頃は先輩も可愛がってくれましたが、私がなかなか上達しないとなると、話はしてくれるけれども部内の立場は悪くなっていきました。当時の私は気にしていませんでしたが、後輩が入ってきたときの私はおそらく、「後輩にも馬鹿にされるへたくそな先輩」だったのです。後輩にさえ笑いものにされて、当時の私はどうしてあんなに、ヘラヘラしていられたのか、今思えば不思議です。
そういったことを当時の私はうまく認識できず、また言葉にもできませんでしたが、ずっと居心地の悪さは感じていました。部活動に行きたくない。そう思いながら、放課後は、部室で体操服に着替えて、嫌々グラウンドで準備体操なんてしていたものです。
悩みに悩み、ある日部活を辞めたいと打ち明けた私を、顧問の先生はひどく叱りました。何を叱られていたのかを私はよく覚えていませんが、きっとそれだけショックだったのだと思います。今振り返れば、あの時の私には、顧問の先生の意向を退けられるほどの勢いもなかったし、何より、教師というのもエゴを抱えた人間の一人であるという事実を、まだよくわかっていなかったのです。
顧問の先生の恫喝に泣きそうになりながら部活を続ける宣言をしたあなたに、私は言いたいことがたくさんあります。


①他人に強いられる努力は努力じゃない
先生があなたに「努力をしろ」というのは、あなたが努力をしていないからではありません。あなたがどうしても上手にボールをキャッチできないのと同じように、先生にもハンドボールを教える力がないのです。先生は、そのことを他の先生から馬鹿にされないために、自分は「必死で努力している」ことを周囲に伝え、許してもらうために、大きな声を上げ憤怒の形相を浮かべているのです。同じことを、先生はあなたに要求しているのです。「上手にできないなら、せめて苦しい顔をして、許しをこえ」
と。
あなたの努力は、先生の立場を守ることになっても、あなたの成長につながることはありません。逆に、あなたが怒ってもいいくらいなのです。
「どうして、自分がうまくできるように努力をしてくれないのか」と。
本来は、お互いが相手のせいにせず、自分の力なさを認めて歩み寄るか、お互いに諦めてそこで終わりにするべきなのです。ほら、会社だって、うまくいかなかった仕事を止めてしまうことがあるでしょう? 世の中には、努力してもうまくいかない物事だって、存在するのです。
ですが、顧問の先生には歩み寄るだけの心の余裕も、努力の方向を考えるだけの知識もなかったのです。先生は頭がいい? 理科の先生だと、そう思いますか? 私も物理や科学は大好きですが、その先生は、科学的な素養どころか、そもそも自然科学に対する興味が根本的に欠けています。あなたのほうが、先生よりもよっぽど科学を楽しめる素養を持っていますよ。私が保証します。
あなたがハンドボールに向いていなかったのと同じように、先生も先生に向いていなかったのです。そのひずみを、不器用だったあなたは、真正面から受け止めてしまっただけなのです。
あなたは努力しています。「自分には努力が足りない」と、そう自分を責め続けるあなたが、努力をしていないわけがありません。ただ、ちょっと方向はずれているだけなのです。けれど、その方向を正せる人は、あなたの周囲にはいないかもしれません。それが少し、心配です。


②「皆のため」は「皆のため」じゃない
これはよく覚えておいてください。
「皆のため」
という人は、自分のことしか見えていません。ほら、「皆のため」と言うと周りの皆はどんな顔をしていますか? 自分こそが「皆」のうちの一人だ、自分もお前に文句を言いたいと思っている、と、そう思っている顔ですか? 
ずるい大人は皆、「自分のため」と言う代わりに「皆のため」という言葉を使うのです。中学生や高校生は――早い人だと、もう気づき始めているかもしれませんが、皆、素直でひとの言うことをまっすぐ受け止められるという、世界で最も尊い心を持っています。それに付け込んで、自分の無理を人に押し付けようとする大人が後を絶ちません。
そういう人に出会ったら、反論もせず、戦いもせず、ただ、逃げてください。どれだけ叱られても、自分の知識では反論できない叱責を受けても、ただ、その人と過ごす時間が一秒でも短くなる選択をしてください。
その人と関わり、その記憶が一ビットでも多く頭に残ってしまうことが、あなたの人生にとっては何よりも大きな悲劇なのです。


③やりたいことは見つからなくたっていい
「部活を辞めてもやりたいことがない」ですか。やりたいことがないことと、部活を辞めることには、何の関係もありません。二つの事柄は連動するものではなくて、それぞれが相手に依存せず立っているものです。何もしないより部活をやっていたほうがマシ、とかあなたは考えているのかもしれませんが、ただ辛いだけで、毎日疲れていくだけの活動は、マイナスになってもプラスになることはありません。あなたのするべきことは、プラスを探すことではなくて、プラスを探す余裕を見つけるために、ちょっとでもマイナスを減らしていくことです。あなたの頭の中は、やりたくない、とか、嫌だ、とか、行きたくない、とかマイナスの思いばかりで、それをなんとかしようというとても難しい問題でいっぱいになっています。その中に、「やりたいこと」の入る余裕はありません。
頭の中が空っぽになること、自分を追い詰めないでいることに、あなたは罪悪感を感じるかもしれません。いいですか、人間は、苦しめば苦しむほど、追い詰められれば追い詰められるほど成長できる、という考え方は間違っています。心が躍り、自分から身を投じたくなるような幸せな苦しみと、それを乗り越えた後の心地よい疲労感の繰り返しで、人は成長できるのです。ハリーポッターの呪文に「クルーシオ」というのがありますね。もし、人が苦しめば苦しむほど成長できるなら、あの呪文は禁術なんかにならなかったはずです。


④辞めるのだって一つ勇気
部活を辞めることだって苦しく、ある勇気を必要とすることです。逃げるのがかっこ悪いとわかっていて、馬鹿にされるとわかっていて、それでも辞めるほうが正しいと信じて行動したのであれば、あなたも一人の勇者なのだと私は思います。
「やりたいことがない」とあなたは言いましたね。あなたは、家と教室と部活と、この大きな世界のほんの一部、それこそ、巨大な砂浜の砂粒一つでさえ掴めていません。
やりたいことなんて探さなくていいです。ただ、今まで、自分が見たことのないもの、聞いたことのないもの、触ったことのないもの、読んだことのないもの、やったことのないもの、行ったことのない場所、関わったことのない人、物、事、まだ経験したことのないありとあらゆることに、手を伸ばしてみてください。その中にはきっと、あなたの心を楽しくしたり、愉快にさせたり、温かくさせたり、前向きな気持ちにしてくれるものが見つかるはずです。あなたはそれを追いかけずにいられないはずです。それを追って、ずっと走っているうちに、自分の探していたものが、すでに手元にあることに気が付くでしょう。やりたいことは見つけるものではなく、見つかるものだと、今のあなたにはなかなか信じてもらえないかもしれませんが、その時になればきっと納得してくれると、私は信じています。

あなたには時間があります。その時間を、どうか大切に。

私は、陰ながら祈っています。

「たまこラブストーリー」こそが史上最高の恋愛アニメ映画であると私は確信している

巷には恋愛物語は腐るほどあふれている、が、その中で一つをおすすめするなら、私は迷わず「たまこラブストーリー」をおしたい。

www.youtube.com

昨日「二十世紀電氣目録」を読んで、それと「聲の形」で河井さんが燃えに燃えたことをネットで知って、この作品に死ぬほど感銘を受けたことをふっと思い出した。私は「たまこラブストーリー」こそが最高の恋愛映画だと思っている。その魅力を余すことなくここで紹介したい。

 

 

0.前置き 

2016年11月、私は秋葉原UDXシアターにいた。何を隠そう、「たまこラブストーリー」を映画館で観るためだ。もっと言えば、「もち蔵、大好き!」からの暗転シーンを映画館で体験するためと言っても過言ではない。

率直に言って内容は最高だった。その感動とともに、私は、東京に住む友人と夕飯を食べに行ったのだ。御茶ノ水駅のあたりを、ふらふらしながら話をした。

友1「お前さ、静岡から東京まで何しにきたの?」
私  「え? 映画を見に」
友2「何を?」
私  「たまこラブストーリー
 私たちの間の空気が凍った。
友1「え、そのためだけに?」
 頷く。
友2「馬鹿だなー糞つまんないやつだろ」
 私はきょとんとしていたと思う。
友1「なんだっけ、あれだろ」
友2「爆死マーケット」
 この辛らつな物言いに私は言葉を失った。
友1「そんなんより○○見ろって(←なんだったか忘れた)」
私  「いや! たまラブ最高だろ!」
 反論にならない反論を口にする私を、友1は憐れむような眼で見た。
友2「ほら、あれだろ。つまらんアニメでも我慢して最後まで見れば面白く感じる。『勇者の剣』現象だって」

 ゲラゲラ笑う友人たちを前に、私は友との絶縁を本気で考えたものだ。
 私は反論したかった。私がたまラブを溺愛し始めたのは映画版がきっかけなのだ。「聲の形」が公開された当時、山田尚子監督作品ということで再放送されたもの。勇者の剣ではない。
 それからテレビアニメを視聴し、そして映画を数周した。ブルーレイも買い、サントラも買った。その後プライムビデオで見られるようになったことは喜ばしい限りだ。 

テレビアニメを前提にした映画の作りには多少の違和感を覚えるが、ストーリー全体の構成に影響を与えるものではない。
当時の私はここまで言われると予想しておらず、咄嗟に言葉が出てこず友人を説得することはかなわなかった。けれど、今その時のことを思い出すたびに悔しい思いにかられる。あれから時間がたち、考えをゆっくり整理できるようになった今こそ、あの時に主張すべきだったことを声を大にして言いたい。

たまこラブストーリー」こそが史上最高の恋愛アニメ映画だと私は確信している、と。

  

1.シンプルなストーリー

 この映画の素晴らしいところの一つ、そのストーリーのシンプルさにある。
「男の子の勇気を振り絞った告白に、初めての感情に戸惑いながらも、友人や周囲に助けられながら女の子が返事をする」それだけだ。

業界トップのトヨタ自動車が全方位戦略で大衆に広く受け入れられるスタンダードな車を世に送り出すのと同じく、アニメ作画でトップを走る京都アニメーションだからこそできるのであろう、奇策に走らない「王道のストーリー」をとんでもなく面白く見せる作品。特に、もち蔵がたまこに告白する鴨川のシーン非常に美しく、そのシーンだけ切り取ってご飯を何杯食べられるわからないほどだ。告白するかどうかでもだえるもち蔵の物語がいったん途切れ、愛の告白というバトンを押し付けられあたふたするたまこの物語が始まる。この切り替えが非常にいい。その重要なタイミングで配置されたシーンには、相当な力を入れているに違いない。だからこそ、誰の印象にも残るシーンになっているのだ。 

 

2.巧みな比喩と伏線

 二人の間を結ぶ「紙コップの糸電話」、たまこが実家の仕事を好きになり、そしてもち蔵の思いに答える決心をさせるきっかけにもなる「お餅が喋る」といった、登場人物の絆に関わる小道具もいい感じだ。コミカルでかつほのぼのとした設定から、登場人物たちの内面がほのかに浮かび上がる。
メインの二人だけではない。父から母に送られた「自作のラブソング」等、二人を見守る大人/友人たちのことも好きになれる仕組みがそこら中にちりばめられている。

 

3.「変化」を力強く肯定する前向きなテーマ

この作品の感動のメインは「変化」だと思っている。友人との関係、両親との関係が、今のままでずっと続けばいいと願っているたまこに、視聴者は共感を禁じ得ないだろう。そこに、恋煩いしているもち蔵が特攻を仕掛けてくるのだ。今まで穏やかに続いていた日常が壊れそうになり、たまこは揺れる。けれどその変化を受け入れる覚悟をし、最後には、旅立つもち蔵の後を必死に追いかけてまで、自分の思いを伝えようとするのだ。
日常アニメの登場人物は変化しない。そのままの日常、そのままの人間関係が永遠に続く。サザエさんちびまる子ちゃんこち亀けいおんなんかだろう。これこそが、フィクションの持っている力の一つで、変わらない世界をそのまま人の想像の中に保っていける。そこで作品を享受する我々は作品の中に入り込み、変わらない世界で安心した気持ちになることができるのだ。
「たまこマーケット」はそういう作品だった。最終回、仲間の一人がいなくなるかと思ったら、妙な事情でもとの状態に戻ってしまう。結局何も変わらない。最終回が終わった後も、たまこ達の日常はずっと続いていることになっていたのだ。だからこそ、視聴者は安心して、「たまこマーケット」という作品世界の中で癒しを得ることができたのだ。
しかし、現実はそうではない。我々は毎年一つずつ年を取り、誰かと出会い、別れ、昨日まで名前も知らなかったと誰かと知り合い、絆を作っていく。
テレビアニメという目くらましで見ないようにしていた現実を、これもまたアニメの中で突き付けてきたのが、映画「たまこラブストーリー」なのだ。この作品を通して、登場人物はみな一つ変化を遂げる。思いを遂げたものもいれば、挫折したものもおり、「たまこマーケット」の最終回では永遠に続くと示唆されていた日常は、「ラブストーリー」で幕を閉じる。ほのぼのとした日常を求めていた視聴者に、この結末はなかなかこたえるものになる……はずだった。
けれど、この作品は誰を傷つけることも脅したりすることもない。純粋なラブストーリーと美しい作画、そして仲間たち。たまこともち蔵の周囲の仲間たちは、二人の恋路を応援するのと同時に、この作品を見る者の変化を、前向きに肯定してくれているのだ。

 

4.まとめ

王道で穏やかなストーリー、共感性が高く魅力的な人物たち、美しい作画、こちらの不意を衝く衝撃的なテーマ設定、そして、人生の変化を肯定する前向きな主張。もう一度言おう、私は、「たまこラブストーリー」こそが最高の恋愛アニメ映画だと確信している

 

実は賞も取ってて

archive.j-mediaarts.jp

映画館でリバイバル上映するようです。凄い。

www.dreampass.jp

 


……最後までお付き合いいただき感謝します。

「二十世紀電氣目録」を手に取れば、その素敵な装丁と世界観に誰もが魅了されるだろう

凄く綺麗な装丁だ、と思ったのが最初の印象です。題材が「電氣」と来て、科学技術的なギミックが盛り込まれた話に興味があったので購入しました。

 

いざ読んでみて、一ページ目では明治時代の空気感に魅了され、登場人物が動き出してからは、彼らが次にどう動くか、何をするかに目が離せなくなりました。手元に届いてから、エンディングまで一気読みでした。とても凄く作りこまれた最高のエンタメです。凄く面白いアニメ映画を見ているような気持ちでした。 とても感銘を受けた……ので、思ったところを語りたいと思います。

 

 

①ストーリーの概観

メインの主人公は、仏具店で機械修理を営む喜八と、酒蔵の娘の稲子。大枠のストーリーは、「意に染まない結婚から逃亡する男女の恋愛もの」です。そこには、喜八が幼いころいたずら書きで書いた「二十世紀電氣目録」にかかわる謎を巡って短い旅を続け、やがて互いを理解した二人が結ばれるストーリーです。サブのストーリーには大人の悲恋を、二つのストーリーを結びつける核として「二十世紀電氣目録」を巡る謎が機能しています。

 

②この話の魅力

1900年頃の史実を踏まえながらストーリーが展開されており、その時代の空気感が伝わってきます。まるで自分がその時代にいるかのような臨場感を感じさせる、具体性のある世界観が構築されています。

ストーリー展開はスタンダードながら、複数のプロットと「電氣目録」を巡る謎、親子の不和に大人の悲恋、主人公たちの恋路、新興と科学を巡る考え方の齟齬、等のサブプロットが巧みに盛り込まれています。


話は程よく複雑で、登城人物もそこまで多くなく、読みやすいです。主人公たちの成長と恋路/悲恋に終わった大人の恋愛という二種類のプロットを、電気目録の謎という三つ目のエピソードで上手につないでいます。電気目録の謎には、二人の周囲の大人の謀略というか策略というか、ドロドロっとしたあれこれががいろいろ絡んでいるところも、ただの青春恋愛物で終わらない面白さを作品に与えています。

 

何よりも面白いのが、喜八と稲子の対称性。

喜八は「目に見えるものしか信じない」超客観事実主義者ですが、一方で何をやっても怒られてばかりの稲子は「神を妄信する素直な女の子」です。

一見全く違う考えを持った二人が、最終的に共通の解にたどり着く思想的な成長はが凄く印象的です。互いの理解、成長、それに、「信仰と科学」という現代人も悩む究極のテーマを、二人の仲の進展と同時に進捗させて、うまく結末と結びつける構成に唸らされました。

もちろん、他にも、無駄なく展開されてうまく落とされる小さなエピソードがいくつもあります。

きっと凄くプロットを練ってるんでしょう。それとも、一発書きで全部できてしまう人? だとしたら凄い。けれど、話の転換点が本の真ん中に来ており、王道のストーリーを外さず、かつ、それに付随するサブプロットもうまく展開されているのを見て、きっと相当考えて、基礎のセオリーをしっかり押さえて話を作りこんでいるのだと感じました。

 

この二人は、テーマの仮託先としても面白いのですが、人物としてもとても魅力的です。
電気という当時の新技術に強い興味を示し向学心もある喜八に、機械設計技術者は共感を禁じ得ないでしょう(風立ちぬ堀越二郎も最高だった……!)
神を妄信する稲子は素直で可愛い女の子で、自らの葛藤を乗り越え成長していく様は、はたから見ていて強く応援したい気持ちになります。

もちろん、ほかの登場人物も、各々の葛藤や癖をもった面白い人物ばかり。人物造形や性格も「アニメ映画」を強く思わせます。

 

読んだ後は、この登場人物が存在する世界にもっと浸っていたい、と思える、素敵な作品でした。

 

③いろいろ思うところ

時代考証はどうなんだろう? 喋り方とか。まあそこはフィクションだしいいのかな。でも気になる人は気になるかも。その時代の文学研究してる人とか。
・中盤からの展開が都合良すぎ?  (登場人物が突っ込みを入れて「これが神の導きか……」みたいなことを言っているので、作り手はここのあたりを書くのにちょっと苦労したのかなと思う)
・万博、電車の経路、お酒の作り方等、当時の様子を凄く綿密に取材している。生活感が伝わってくる世界観。人物も町もバックグラウンドがしっかり作りこまれ、そしてすべて魅力的……素人物書きとしてはちょっとショックを受けた……こんな話をどうやって作るんだろう。

・後半、仲を深めていく主人公の二人が眩しすぎて直視できない。きっとあんな糞臭い台詞を恥じらいもなく言えるのはこの年代だけだと思う。(15歳か……と思った)
「俺がお前の人見に明かりを灯してやる」とか
「私があなたの○○になる」とかそういうの

電子書籍版がないのはなぜ……?
・稲子がからかわれて喜八をどついたり蹴ったりするさまはアニメっぽいイメージが浮かぶ。アニメ版でちょっと見たい気もする……
・ちょっと高い……? 文庫で儲ける商売ではないんでしょうけれど

・一つ誤字見つけました p.242 12行目「苗子×」→「規子◎」だと思う。

 

④まとめ

喜八も稲子も、登場人物全員、そして彼らが生きている世界も全て魅力的で、ずっと読んでいたいと思える素敵な本でした! 

 

「デジタルネイチャー」を読んで、思考をぐちゃぐちゃにかき乱されたい。

タイトルが大げさすぎて若干胡散臭い気がした。けれど、本の表紙は、いろいろな意味であまり信用してはいけない。

内容は、著者のイメージら受ける通り、なかなか刺激的だった。

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

 

 

AI研究者が何に関心を持っているかがよくわかる辞書だ。

 

まず、私の思う「良い科学書」の話をしたい。
一つ、例えば、一般的な知識のない人にも自分の専門部やを興味深く伝え、科学的なものの見方や考え方をそれとなく教えてくれる本。例えば、「ロウソクの科学」なんかがそうだろう。
二つ、わかりやすいのはもちろんだが、その中に、作者として、事象に対する説明や未来予想等、自分の主張したい事柄が明確に示されている。「利己的な遺伝子」や「サピエンス全史」等は、科学的知見を読者に提供しつつ、自説を明確にしそれを裏付ける事例をあげている。
三つ目、作者の知見を体系的にまとめ、整理したもの。これはいわゆる「教科書」だ。読み物としての面白さは少ないが、いろいろな事柄がきっちりまとまっていて自分の頭の整理にもなるし、考えの基礎にもなる。
ただし、良くない科学書も存在する。それは、作者の興味があることをただひたすらに並べ立て、何が主張したいのかわかりにくい、もしくは主張したいことが特に読み取れない本だ――失礼を承知でいれば、この本はそういった類の本と思っている。

落合陽一のラジオやテレビを面白く聞いたり見たりしている私としてはちょっと残念だった……分野を横断する幅広い知見を持ち、一般的な常識とは外れた考え方を、歯に衣着せぬ明瞭な物言いで語るその姿には尊敬すら覚えていた。論文の読み方や研究の進め方は、私の尊敬していた研究室の先輩とまるまる一緒で、一瞬本人が偽名+整形でテレビにでているんじゃないかとさえ思った。後々、VALUも利用してみようかとわりと本気で考えるきっかけになった人でもある。

 

まあそれはいいとして。

 

本書で主張らしい主張かな、と思ったのは「近い将来、統計的分布の外にある物事を追求するクリエイティブ層と、既存のシステムを維持するだけの生活保護層に分かれるだろう」ということ。それだって、私でさえいつだったか考えたほどだし、その裏付けになる具体的な事例を載せているわけでもない。その他は、哲学やら社会科学やらの知識が、脈絡もなく(おそらく作者的にはどこかでつながりがあるのだろうが)展開され、よくまとまっていない辞書という印象を受けた。
私の情報科学的な知識はほぼゼロだが、内容自体は基本的な数学の考え方がそれなりにあればそれなりに理解できるものである。ただし、扱っている内容が内容なので、一読して主張がくみ取れなかった時の私は「もしかして自分が馬鹿すぎるだけかも」という疑いにかられた。二週目が終わった時点で、多分この本は、思いついたことをバババっと書いた、本人にとってもある意味メモ的なものなのだろうと私は結論している。


本としてのまとまりはいまいちだが、今、最前線で活躍する科学者の、ごちゃごちゃしてカオスを極める頭の中を、文字通り「読む」ことができるという意味ではとても意義がある。
これを読んで、私は、世阿弥の「花鳥風月」に手を出し始めてみたし、東洋哲学の本も読んでみようかなと思ったし、マックスウェーバーのなんとやらという本にも、「そういえば教科書で名前聞いたっきり原著読んでないな」と思い出せた。
ある意味で、まとまった本よりもずっと「刺激的な」本だ。
それと、冒頭のシーンが非常に素敵だ。霧の中を走る自動車の中で、作者は、電子機器が人間の五感を代替できることを考えるのだ。ここが、本作の作者の主張のスタートである。
作者の興味、考えていることが、まるで機関銃かの如くひたすらに連射される。それをひたすら受け止める本田……一流と世間で言われる研究者に対して批判的なコメントをするのは大変恐縮だが、私はこの本に対しそういう印象を受けた。

この本の魅力は、今を時めく情報科学者のカオスな頭の中が「そのまま文字として読める」ところにある。
ただし、全体として意味がくみ取れなかったとしても
「それは読解力不足ではなくて、単に主張がないか、明示されてないだけだ」と、私は思っている。

ともあれ、情報科学の知識ほぼゼロの私には、大変刺激的な本だった。

「超雲の上な科学者のメモ長の中身がそのままみられる」といえば、なかなか魅力的な本に思えるんじゃなかろうか。